最高裁判所第二小法廷 昭和60年(オ)483号 判決 1985年12月20日
上告人 依田定敏 外1名
被上告人 依田利正
主文
原判決を破棄する。
被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人○○○○の上告理由について
一 原審の認定した事実関係は、次のとおりである。すなわち、(一)上告人依田定敏(明治34年5月22日生)と同依田秀子(大正3年6月18日生)の夫婦は、田畑約1ヘクタールを所有する専業農家であるが、実子がなかつたところから、農業の承継と祭祀の承継を目的として、仲人を介して知つた被上告人(昭和23年3月20日生)を養子にすることとし、昭和49年頃から同居を始め、昭和50年4月17日養子縁組の届出をした。(二)被上告人は、当時会社に勤務していたが、勤務の合間や休日を利用して農業を手伝い、農繁期には会社を休んで農作業に従事することを了承していた。(三)被上告人は、縁組当初は努めて農業を手伝い、給料の中から月2、3万円(ボーナス期には5万円ないし7万円)を生活費として上告人らに渡し、上告人らも被上告人に対して気を遣うなどして、双方が養親子関係の円満な維持継続に努力していたので、その生活は平穏に過ぎていたが、上告人らが、農作業が近隣農家に遅れることを嫌つて、被上告人に対し農作業の手伝いを求めたとき、被上告人がその勤務の都合ですぐにこれに応じられなかつたこともあつて、次第に上告人らの不満がつのり、農作業中粗野な言葉で被上告人を叱責することも重なり、これに対して被上告人も粗野な言葉を使ったり、暴言をはくようにつた。(四)また、被上告人は、昭和54年1月19日、上告人らの反対を押し切つて、土地建物を投資の目的で購入し、このことも上告人らにわだかまりを残した。(五)そして、昭和56年12月27日には、仕事のことで意見があわなかつたことから、上告人定敏からつかみかかられた被上告人が、同上告人を押し倒したり、上告人秀子に対しても空の牛乳びんを投げつけたり、足蹴にしたことがあり、また上告人定敏が被上告人の悪口を他人に言い触らすことを阻止する趣旨で、自転車を使用させないために、タイヤの空気を抜いたこともあつた。(六)このようなことから、上告人らは昭和57年3月26日家庭裁判所に離縁調停の申立てをしたが、被上告人が出頭しなかつたため、調停不成立に終わつたところから、同年6月22日本件訴えを提起するに至つた。(七)上告人らは、同年4月、被上告人の帰宅が遅いとして、鍵を掛けて家に入れないようにしたり(このため、被上告人は、ガラスを破つて鍵をあけた。)、その後、被上告人の居室の畳をあげ、電燈線を切つたり、親子電話を外すなどの行為に及び、更に同年11月には上告人定敏所有名義の不動産をことごとく遠縁の者の名義に移転登記するなどしており、これに対し、被上告人も、「年をとつたらみじめな目にあわす」などの言葉を口にしたり、いやがらせの言動をしたこともあつた。
原審は、以上のような認定事実に基づき、次のように判断している。すなわち、(一)上告人らは、主として被上告人の農作業の手伝い方に不満をつのらせ、時には粗野な言葉で叱責し、これに反発する被上告人の言動等に急速に将来の不安を覚え、一途に離縁を思い立ち、離縁調停、本訴提起に至つたのであるが、上告人らは、被上告人が会社に勤務しつつ農作業に従事することを了解していたのであるから、勤務の都合で多少農作業の手伝いに遅れることも大目にみるべきであり、被上告人の言動や暴行も、上告人らの粗野あるいは無理解な叱責に触発され、これに反発して行われたものと推認され、暴行も一時的偶発的であつて、一般の親子関係でもしばしばみられるところであり、上告人らが高齢であるところから将来に対する著しい不安を覚え、懐疑を持つたことは理解できなくはないが、上告人らにおいても、右の諸点を省み、被上告人との話合い等による関係改善の余地がなかつたとはいえず、したがつて、離縁調停の申立て、本訴提起に至るまでは、必ずしも上告人らと被上告人との養親子関係が極度に破壊され、将来の和合、正常円満な養親子関係維持の見込みがなかつたものということは困難である。(二)もつとも、上告人らは、右調停申立て、本訴提起後被上告人を追い出すための極度ないやがらせ行為に出ており、本件養親子関係を一段と悪化させるもので、現時点においては、本件縁組の修復は困難であるとみえないではないが、右いやがらせ行為は上告人側からほぼ一方的に加えられているものであつて、これに対し被上告人は、いやがらせの言動もしたものの、基本的には上告人らとの養親子関係を望み、将来の和合を望んでいるのであるから、なお本件縁組を継続し難い事由があるとするのも相当でない。(三)仮に上告人らのこれらの行為と被上告人の反発を考慮して、本件縁組を継続し難い事由があるとしても、上告人らがいやがらせ行為をほぼ一方的に増大させて縁組の破壊をもたらしたというべきであるから、上告人らの本件離縁請求を認めるのは相当でない。
二 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。(一)まず、原審は、被上告人が上告人らに対して加えた暴行について、一時的偶発的であつて、一般の親子関係においてもしばしばみられるところである旨判断しているけれども、被上告人が、上告人らから粗野な言葉で叱責されることに反発してのこととはいえ、上告人らに対し粗野な言葉を使つたり、暴言さえも吐くようになつており、また、上告人らの反対にもかかわらず、自分の意思を通して投資の目的で不動産を購入するに至つた等の事実があり、そのために上告人らと被上告人との間にわだかまりや感情的な対立が累積し、高まつていたものと推測される背景事情があるにもかかわらず、右暴行を単に一時的偶発的なものとみるのは、あまりにも表面的な捉え方といわざるを得ない。のみならず、原審が右暴行をもつて「一般の親子関係においてもしばしばみられるところである」としている点については、80歳と67歳の老父母に対して、34歳にも達した子がこれを押し倒したり、空の牛乳びんを投げつけ、あるいは足蹴にする等の暴力行為に及ぶことが「一般の親子関係においてもしばしばみられるところ」とする事実認識の当否はしばらく措くとしても、養親子関係における前記のような暴行の事実を実親子間に起きた場合と同様に評価するのは相当でないのであつて、このような老齢の養父母に対する暴行は、養親子関係を破綻に導く行為として重視されなければならない。(二)また、原審は、被上告人が基本的には上告人らとの養親子関係を望み、将来の和合を望んでいることを理由に、なお本件縁組を継続し難い事由があるとするのは相当でないとしているけれども、被上告人が上告人らとの関係改善、和合のための何らかの真摯な努力をしたことは原審の認定しないところであるばかりでなく、かえつて、原審の認定によれば、被上告人は、上告人らが申し立てた離縁調停の期日に一度も出頭しなかつたというのであつて、果して被上告人が上告人らとの和合の意思を有しているかどうか疑わしいばかりでなく、被上告人が上告人らとの養親子関係を望み和合に努力すると述べているからといつて、そのことを過大に評価するのは相当でないというべきである。(三)つまるところ、上告人らと被上告人との養親子関係は、原判決の認定した事実関係のもとにおいても、上告人らの離縁調停申立てないし本訴提起当時既にもはや回復し難いほどに冷却破綻していたものというべきであつて、上告人らが離縁調停申立て、本訴提起後に行つた、原判決にいう「極端ないやがらせ行為」は、被上告人との養親子関係が破綻したために、前記のような高齢に達した上告人らが、被上告人との関係改善に絶望し、老い先短い将来に不安を覚える余り、みずからの立場を守るためにした行為とみるのが相当であり、これをもつて本件縁組の破綻を招来した行為と評価するのは相当でなく、被上告人において調停期日に出頭するなど関係改善のための真摯な努力をしなかつたことや、被上告人の側からも「年をとつたらみじめな目にあわす」などのいやがらせの言動があることなどもあわせ考えると、「上告人らが右のようないやがらせ行為をほぼ一方的に増大させた結果、本件縁組の破綻をもたらした」として一方的に非難するのは相当でないというべきである。(四)したがつて、原審が確定した事実関係のもとにおいては、本件養親子関係の破綻をもたらした主たる責任が上告人ら、被上告人のいずれにあるとも容易に決し難いのであつて、少なくとも縁組破綻の責任がもつぱら又は主として上告人らにあるものとすることはできない。
そうとすれば、上告人らと被上告人との本件養子縁組については、民法814条1項3号にいう「縁組を継続し難い重大な事由」があるものと認めるのが相当であり、これに反し、「縁組を継続し難い重大な事由」が認められないとして、上告人らの本件離縁請求を棄却すべきものとした原審の判断は、民法814条1項3号の解釈適用を誤つた違法があるものといわざるを得ず、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。
そして、原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人らと被上告人との離縁を求める本件請求は理由があり、これを認容した第一審判決は相当であるから、右第一審判決を取り消して上告人らの本訴請求を棄却した原判決を破棄し、被上告人の控訴を棄却すべきである。
よつて、民訴法408条、396条、384条、96条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤島昭 木下忠良 大橋進 牧圭次 島谷六郎)
上告代理人○○○○の上告理由
原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈に誤りがある。
即ち、民法第814条1項3号は「その他縁組を継続し難い重大な理由があるとき」は離縁原因になると規定している。本号の趣旨は、親子共同生活体についての現代における合理的な要請を基準として、その復元・維持の著しく困難な事情も離縁の原因となるとしているものである。
本件では養親依田定敏(明治34年生)、同秀子(大正3年生)で老境にあり、自分等の余命について安穏な生活を送りたいと希つたことから、本件に至つたものである。
一途に被害者意識をつのらせ・増大させ、原審の事実認定に不満をもち、老後の静かな生活に絶望している養親に対し、単に養子が養親子関係を望み、和合に努力する旨述べた片言が如何に空虚に聞えることか。彼等は同じ屋根のに起居を共にしてきた実績がある。彼等なりに夫婦が一生懸命考えた結果、本訴を提起したものである。
いくら養親に対して養子と仲よくやりなさいと説得しても、日々老耄していく彼等に対しては、今後の生活にただ絶望が残るだけである。養子は本件提起後は、暴言も吐かず「死ぬまで裁判を続けてやる」といつたにすぎないが、必ず養親の家へ帰つてくる。しかも離縁の裁判中である養親にとつては毎日・毎晩に大変な苦痛が伴つたことは容易に推察される。
かかる場合には、裁判所は養親の訴えに対し謙虚に対処され、壮年の養親に対すると同様に離縁原因の主たる帰属がいずこにあるか詮索されず離縁を認め、養親の安らかな余命を全とうさせる趣旨を本号は含んでいる。
勤務が許すかぎり農業を手伝い、生活費を毎月養親に渡し、財産を増やし養親との和合に努める養子に対し、仮りにも離縁を求める養親が存在するであろうか。
原審は当事者の生活の実体・裏面にふれようとしなかつた。即ち、形式判決であり養親を納得させるものではない。
養親と養子の3名のいわゆる密室家族で、屋内にある自転車の前後のブレーキがはずされていれば、行為者が養親でなければ残る養子がはずしたと認定すべきであるが、原審はタイヤの空気を抜いたと認定している。この事実の相違は重大である。
ブレーキは乗つた養親の生命にかかわる事態である。
養子は養親が自転車に乗れば危ないから、空気を抜いたという把え方をしている。
また養子の暴力行為「年をとつたら惨めな目にあわす」「死ぬまで裁判を続けてやる」等養親は養子の非違を叫んでいる。
かかる不安感をもつ養親に対し、養親子関係の存続を認めることが、如何なる意味をもつというのであろうか。
養親の関係者が原審認定のいやがらせの行為に及んだことは、執拗に養親子関係の継続に執著する養子に対し、やむなく自救行為に及んだものであり、理解されるべきである。
養子(昭和23年生)は現在まで独身をつづけ、ただ自己の資産を蓄えつつある。
従つて養子自身の将来の生活設計に対し、本件養親子関係の解消は何ら生活に不安を与えるものでもない。
一度破綻をし、極度に不安感をもつている高齢な養親に対し、仮りに養子が和合に努めたとしても従前の養親子関係に復するものだろうか。否である。老人は尚将来に対し絶望するであろう。
以上により原判決は民法第814条1項3号の解釈を誤つたものであり、破棄されるべきである。